「新しいタイプのお辞儀」

「よう、モミアゲ」

「なんだよモミアゲ、俺はヒゲだぜ」

「いや、どう見てもお前はモミアゲだ!モミアゲ界の皆がそう言ってる。間違いない」

「いや誰が何と言おうと俺はぜったい!ヒゲ。モミアゲなんて知るか!ボケ!」

みたいな議論は

不毛である。

「ぜったい」なんてものはないのである。

そう思う。

 

それとはまったく関係ないのだが、

先日の話だ。

あれにはマイった。

上野公園にて本番直前に「ギックリ腰」をやるという悲劇に見舞われたのだ。

その時に走馬灯のように頭によぎったのは或る冬の日の悲劇だ。

あれは何年前のことだろうか。

その昔、真冬の北海道でのツアー中に札幌旭川間の移動中、ギターケースを背負ったままクシャミをした瞬間にギクってしまい、そのまま動けなくなったことがある。

それでも這うようにしてなんとか旭川に向かったのだが、衣装を着ることすら出来ない状態だった。

その日は旭川の老舗ライブハウス「アーリータイムズ」の店長野澤さんにホテルまで迎えに来て頂き、パンツや靴下をはかせてもらったりして、何とか乗り切った。

その日のご恩は未だに返せていない。

いつか、いつの日かアーリーの野澤さんにパンツをはかせたい!

その思いだけで毎日生きている。

当日の写真を見ると、私は口元に笑みを浮かべているものの、右目も左目も共に半分白目になっていて、(私はこの日の演奏のことを「ハーフ&ハーフ奏法」と呼んでいる)、

その苦悶の表情から当日の凄惨さがギクギクと伝わってくる。

そんなことがあったので今回の上野でのギクリギグ事件関しては二度目ということもあり、前回よりも心は少し落ちついていたと思う。

前回の教訓を踏まえて、私がギックリングしたままでいかにライブを乗り切ったかの話をしたい。

話をギックリと二つに分けてみよう。

いや、ザックリと二つに分けてみよう。

【1】千の風に乗れ!

【2】お辞儀は華麗に!

まず【1ページ】の「千の風に乗れ!」だが、
これは単純である、痛みを風に委ねるだけである。

「自分は今、痛みという風に乗っている」と思うことが肝心である。
強く吹く夜も優しく吹く朝もあるだろう。

今はたまたま強い風が吹いているが、必ず優しい風になる。

自然と一つに。

そう、

負けない事、投げ出さない事、逃げ出さない事、信じぬく事。

駄目になりそうな時が一番大事。

そういった自分だけのオリジナルな心構え。

それで何とか乗り切れた。

そして【2ページ】「辞儀は華麗に!」である。

読者諸君はバレエの「レヴェランス」をご存知だろうか。

ご存知でない方はまず、冒頭だけでも良いのでこの貴重な資料に目を通して頂きたい。

ギクッた状況でギターをぶら下げたままオジギるのは、事態の悪化を招きかねない。

もしかすると、頭を下げたまま、二度と起こせなくなるかもしれない。

そのクライシス、エマージェンシーの中で開発された「ギックリ界の新しいお辞儀スタイル」。

これが「レヴェランススタイル」のお辞儀である。

ブルース、ジャズ、ロックンロール、パンク。

我々人類は苦境の中で、新しいスタイルを生み出してきた。

いよいよ、私も四十を過ぎて、「本番直前のギックリ腰」という苦境の中で、

ついに、独自のお辞儀スタイルを生み出してしまったようだ。

この新しいタイプのお辞儀に名前を与えるのであれば、、

そうだな。

「俺はぜったい!プリンシパル」

である。

そう、あの吉幾三さん「俺はぜったい!プレスリー」インスパイヤ系だ。

頭の下げ方というものは人それぞれである。

腰を曲げることが出来ない代わりに、膝だけを折り、垂直に体勢を低くする。

それはそれで立派なお辞儀なのではないのか。

むしろ華麗ではないか、と。

そのように思う。

与太話はこれくらいにして

ここに書き残したいことがあります。

あの日、

聴いてくれる人たちお一人お一人の存在への感謝の気持ちで最後まで立っていられました。(いつもより5分早く終わらせてしまったけれど。。)

まともなお辞儀が出来なかった分、皆さんに心の中でたくさん感謝しました。

あの場に居た人もいなかった人も

いつも本当にありがとうございます。

「休めば治る」という、のんきなただのギックリ腰なのに、

心配かけてごめんなさい。

情けないなぁ。

でも、お陰様で今はすっかり良くなって、次のワンマンライブのこと考えてます。

「今度ライブがあるんだ」って

「聴きに来てくれないか」って

路上で歌って、たくさんチラシを配ります。

いつも本当にありがとう。

ありがとう。

龍之介

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